2021年5月21日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 梅屋町(うめやちょう 現在の梅屋町) 由井正雪自害の舞台になった本陣 梅屋 駿府城の南西方向に位置する町です。慶長14年(1609)、駿府城下町の整備に伴い東海道筋が本通りから新通りに移されたことによって、東海道に面することになりました。七間町から続く町で、 […]
2021年5月21日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 本通(ほんとおり 現在の本通1~9丁目・大鋸町・幸町) 慶長の町割り以前の、元々の「東海道」 駿府城の南西に位置する町で慶長6年(1601)に東海道の宿駅が制定された際には、この町を貫く通りが東海道とされました。 しかし、慶長14年(1609)慶長の町割り(※1)に伴い、新通 […]
2021年5月21日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 伝馬町~横田町エリア 横内田町(よこうちたまち 現在の太田町) 家康公が牛車の通行を禁止したまち 駿府城下の東北に位置した北街道沿いの町で、横内町の東隣りにありました。 この町には家康公と関係の深い伝説が残っています。江戸時代の駿府奉行が著した『名乎離曽の記(なこりそのき)』によると […]
2021年4月19日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 上下草深町(かみしもくさぶかちょう 現在の西草深町) 水草が茂る川原から草深と名付けられたまち 安倍川の改修と流路の変化によって生まれた土地で、駿府城築城以前は水草が生い茂った川原だったことから「草深」と名付けられたといわれています。家康公が駿府在城時代、現在の西草深公園近 […]
2021年4月16日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 七間町(しちけんちょう 現在の七間町) 興行から映画など、新しい文化を広めたまち 今川時代の豪商 伴野宗善(とものそうぜん)が七座の長としてこの地に屋敷を置き、支配していたことから「七間(軒)」と名付けられられたという説があります。 「座」とは江戸時代のはじめ […]
2021年4月16日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 上石町(かみごくちょう 現在の上石町) 米穀豪商たちが築いたまち 江戸時代の初めには、「石町(こくちょう)」または「本石町(ほんごくちょう)」とも呼ばれ穀物を売買する人が住んでいました。「石」は「穀」を意味し、豪商の米座(米穀商の同業組合)がありました。江戸時 […]
2021年4月16日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 四足町(よつあしちょう 現在の中町) 「四足御門」の門前にあったまち 四足町は駿府城の四足御門の前に位置する町でした。四足御門は諸大名が家康公との謁見の際に通る門であり、家康公を護る武士団の出入口にも使われていたといわれています。葵区中町の静岡市立病院側バス […]
2021年4月16日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 伝馬町~横田町エリア 上横田町(かみよこたまち 現在の日出町・横田町・鷹匠2丁目) 律令時代に「横田駅」があったまち 上横田町は駿府城の東部に位置し、東海道府中宿の一画を構成していました。下横田町と同じく平安時代から「横田」の地名は存在しており、京都に近い当町を「上」としました。 律令時代の東海道には約 […]
2021年4月2日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 研屋町~安西エリア 土太夫町(どだゆうちょう 現在の土太夫町) 浅間神社神職の門弟の名前が土太夫さん 江戸時代に編纂された地誌『駿国雑志』によると、静岡浅間神社(※1)の神職に仕えた宇式土太夫(うしきどだゆう)という者が住んでいたとあり、町名はこれに由来するようです。 […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月18日 seishin100 大工町~常磐町エリア 新通(しんとおり 現在の新通1,2丁目・駒形通4,5丁目) 慶長の町割りで新しく造られた「東海道」 慶長14年(1609)の町割りは、現在の本通筋に替えて、幅5間(約9m)の東海道の新しい道筋が100メートルも離れていない南側に設けるものでした。その新しい通りに沿って町並みが形づ […]