鋳物師町(いもじちょう 現在の横田町・伝馬町・日出町)
家康公御用の鋳物師のまち
鋳物とは金属を溶かして型に流し込んで作られた器物のことです。鋳物師は鍋・釜といった日用品のほか、鉄砲・大砲・弾などの軍需品をも造るため、軍事品調達の面で城下町にとって重要な職人集団のひとつでした。
駿府鋳物師町には今川氏時代から鋳物師たちが居住していました。伝承によると、山田六郎左衛門(代々襲名)が家康公の御用鋳物師として横田町の地内に細工場(作業場)を賜り、仕事を始めたことから当地が鋳物師町と名付けられました。
鋳物師町の謂れ
駿府城下町の地図
鉄の加熱にはつよい火力を使うため、たびたび火災を起こしたそうです。その後、城下への被害を避けるため、庵原郡江尻宿(静岡市清水区、巴川下流~清水港一帯)に替え地をもらって移転したといわれています。『駿河志料』に「天正十五年古牒に、よこたいもじ衆とありて、古へ其職の者居住の地なりしと見ゆれど、今は其職の者なし」と記載されていることから、江戸後期には駿府の鋳物師町に鋳物を職業とする職人はいなかったことが分かります。
上横田町方面へ向かう旧東海道
府中宿方面へ向かう旧東海道
現在、鋳物師町の名は残っておらず、横田町・伝馬町・日出町に分かれており、町名碑は伝馬町通り(旧東海道)とつつじ通りの交差点近くに設置されています。鋳物師町は東海道府中宿の一画に位置していました。府中宿は東海道五十三次のひとつで、江戸から約44里(176㎞)の宿場です。府中宿の東西に見附(見張り所)があり、西見附は富士山、東見附は高根山(藤枝市)を正面に臨む場所にあったそうです。
鋳物師町の町並み 花陽院門前町方向
鋳物師町の町並み