院内町(いんないちょう 現在の横田町・日出町)
えびす様をお祭りする西宮神社があるまち
現在の横田町の真ん中あたりに位置した町で、駿府九十六ヶ町の上横田町と猿屋町に隣接していました。『駿河記』によれば、町名はご祈祷やおまじないをする陰陽師(院内、印内とも呼ばれた)が住んでいたことに由来します。慶長14年(1609)、家康公が駿府城築城に際し、この町の陰陽師にお浄めの祈祷をさせたとされています。彼らは諸役を免除され、城内の清掃を専門に行ったとされます(『徳川家康と駿府城下町』より)。
院内町の町並み 猿屋町方面
院内町の町並み 旧東海道方面
地内にある西宮神社は、かつて左口社恵比寿社(しゃぐちしゃえびすしゃ)ともいわれました。御祭神は事代主命(恵比寿大神)と猿田彦命(さるたひこのみこと)です。えびす様をお祭りしている神社の総本社は兵庫県西宮市の西宮神社ですが、西宮神社は全国に数多く存在します。えびす様を祭っていることから、地元では「おいべっさん」と親しまれています。
大正10年(1921)以前は、財布に入れておくとお金に困らない、思わぬ金儲けができるといわれのある「福銭」を参拝者に貸していました。福銭を借りた者は翌年には借りた金額を倍以上にして返したといいますが、その後返さない人が増加したため、大正10年(1921)以降に廃止されました(西宮神社由緒より)。
西宮神社山門
元禄5年(1692)の『駿府町数並家数人数覚帳』では35戸、217人が住んでいたとされています。院内町は大正8年(1919)に一部が日出町に、昭和20年(1945)の区画整理で横田町2丁目となり、院内町の町名は消滅しました。昭和45年(1970)住居表示変更のため、横田町2丁目は横田町となりました。
●こぼれ話●
毎年10月19日夜から20日にかけてのえびす講には商売繫盛や家内安全を願う参拝者でにぎわい、張子で作った鯛の掛魚(かけよ)を枝につるした縁起物が売られます。明治中期までは数万の男女が徹夜で騒ぎまわり、ドブ板や看板を持ち去るなどの悪戯をしたといいます。
えびす講は全国的に行われているお祭りですが地域によって日程は異なり、1月の10日や20日に開催される地域や10月20日や11月20日に開催される地域などがあります。
地内のえびす講は10月に行われますが、その理由としてこんなお話があります。旧暦10月は、全国の神様たちが出雲大社に集合して話し合いをするため、各地で神様が不在になり「神無月」といわれています。えびす様も神様の1人ですが、何故かえびす様は居残るそうで、そのえびす様を慰めるために10月に行っているということです(ワゴコロ「えびす講とは?意味や時期、何をするのか」より)。
西宮神社のえびす様
西宮神社御本殿